みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 7月 2021

米国人・ハリスが、長い船旅を経て日本に着いたのは、今から150年前だった。 貿易を通じて日本を国際舞台にデビューさせた功労者。 だが、先に来日したペリーほど有名ではない。 エリート軍人のペリーと違って、ニューヨークの貧しい家に生まれ、中学 を出ただけで働きながら学んだ。貿易商になり、各国を巡り歩き、商売 が傾き、大統領に陳情して、この大役を任された。 ペリーとは日米和親条約を、このハリスとは通商条約を結ぶことになる。 74歳の生涯を独身で通し、読書家で教養人、きまじめで優しかった。(ハリス「日本滞在記」より)

このハリスの「日本滞在記」には随所に鋭い観察眼が光り、案外ユーモラスだ。 日本上陸を目前にした日記には、自らを日本における「文明国からの 最初の公認された代理人となるであろう」と高々と宣言している。 「日本は狭少なので、三港 以上はひらかないことに決めたぁ~」という駄々っ子のような 幕府を口説き落とし、日本側が気を緩めた隙に江戸などの開市を 要求、、、帰国後は公職を退き、ニューヨークの質素な下宿で、 謙虚な生活を送ったとあります。 実直な人物だったのですね。 いよいよ、ハリスさんに好意を持ちました。

当時の日本は時がゆっくり流れていて、「イエスかノーか」という きっちりとした答えを求める欧米人には理解されなかったのですね。 しっかりとした日程を組んで行動するハリスさんにとって、交渉場所 に行っても、幕府役人は雑談ばかりして前になかなか進まない、 益々、ハリスさんは苦虫を噛み潰した顔になってしまったのでしょう。

 

 大阪西成区で起きた住宅崩落事故に続き、今度は伊豆熱海での土石流による大災害。目を疑うような映像がテレビや新聞の一面に映し出されています。
 梅雨に入り連日の雨の伊豆地方でしたが、特段強い雨が降ったわけではなく、なぜこのような大災害が起きたのでしょう。土石流の始点は生い茂る木々を伐採し、盛り土が盛られて作られた土地。どこから来るとも知れぬダンプカーが、大量の土砂を運んで来る様子を住民の方は何度も見たといいます。運んで来るというより、捨てに来ていると言うのが正しいのかも知れません。
 Google Mapで見てみると、そこは廃棄物処理用地らしき名前が出ていましたが、今朝、もう一度見てみると、不思議なことに今度は土石流起点と表示が変えられていました。
 伊豆地方には似たような地形の場所が多数存在しますが、何故ここだけが大きな土石流が発生したのか?無謀な土地開発による「人災」の匂いが強く残ります。
 30名近い方がまだ見つかっていません。一人でも多く救出されることを願わずにはいられません。
本日、ザ・戊辰研マガジン2021年7月号(Vol.45)を発刊しました。
どうぞご覧ください。ザ・戊辰研マガジン (publishers.fm)

八幡和郎先生の新刊書「365日でわかる日本史」に私の画像をたくさん使って頂けました。

70/365 下田のペリー像、107の南三陸町役場(津波後)、 120の美観地区のお雛さま

149の大阪城、186の倉敷大原美術館、です。

書店に行かれましたら、是非、ご覧下さいませ。(^o^)