みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 3月 2022

明治新政府軍と旧江戸幕府軍が大政奉還後に争った戊辰戦争の最中、新政府軍が出した「徳川慶喜追討令」を記した高札が、米原市柏原の柏原宿歴史館で展示されている。高札は京都と江戸を結ぶ中山道の宿場町・柏原宿に掲げられたと伝えられ、谷口徹館長(69)は「幕末の大きな変化を象徴的に表している」と語る。(形田怜央菜)

戊辰戦争は、一八六八(慶応四)年一月三日、江戸幕府軍と薩長軍が衝突した鳥羽・伏見の戦いを契機に始まった。鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍は敗れ、慶喜は六日、海路で江戸に逃れた。その翌日、新政府が追討令を出した。

谷口館長によると、追討令を知らせる高札は、新政府への恭順を示すために各地で掲げられたと考えられるが、現存しているものは多くないという。柏原宿以外で県内では、日野町で一例が残されている。今回は高札と、同様の内容を記し高札の原本となったと考えられる史料パネルを展示している。

史料には末尾に、当時の柏原宿を支配していた大和郡山藩主の官位に当たる「甲斐」と記されている。大和郡山藩主が新政府軍への支持を表明し、領民がそれに従うよう命じたものだと分かる。

一方で、高札には設置主体が書かれていない。このことを谷口館長は「官軍先鋒(せんぽう)隊のような政府軍関係者が、藩主に先駆けて書いた高札ではないか」と推測する。当時は幕府側か政府側を支持するかで苦悩した大名も多く「大きな時代の変わり目に、混乱していた状況が読み取れる」と話す。

展示は四月三十日まで。入館料は大人三百円、小中学生百五十円。

ザ・戊辰研マガジン2022年3月号 Vol.53を発刊しました

  世界情勢が大きく動き、ロシア軍がウクライナを攻撃するニュースに釘付けの毎日です。そしてロシア軍によるウクライナ原発への攻撃には大変驚きです。原発の占拠が目的で、原子炉への攻撃は無いものと思われますが、もし原子炉へのミサイル攻撃が始まったら、チェルノブイリ、福島原発の事故どころか、世界規模の大惨事に陥ることは間違いありません。また、核兵器の使用をちらつかせている狂ったプーチン。これを止める手立てはあるのでしょうか。
ウクライナの首都キエフに通じる道に架かる橋をウクライナ軍は自らの手で破壊、ロシア軍の進軍を阻止しようとしています。戊辰戦争会津の戦いで、会津軍が十六橋を破壊して西軍の会津侵入を阻止しようとする場面を思い浮かべます。
世界中の多くの国がロシアへの制裁措置を講じています。そしてロシア国民は苦しんでいます。
パラリンピックではロシアと同盟国のベラルーシが参加の停止となりました。選手の人達には可哀そうですが、その怒りはロシア政府、ベラルーシ政府に向けてもらいたいところです。
ロシア国民もウクライナ国民も戦争を望んでいません。プーチン政権の独走を何としても止めなければなりません。

さて、ザ・戊辰研マガジン2月号は星先生の追悼版でしたが、3月号は通常版です。
本日発刊致しました。どうぞご覧ください。

https://boshinken.publishers.fm/

幕末の生々しい交渉も…長州藩士・久坂玄瑞らが山田方谷に宛てた書状を特別展示【岡山・高梁市】

財政の立て直しや教育者として人材育成に尽くした備中松山藩の藩士、山田方谷に幕末の長州藩士から送られた書状が高梁市で展示されています。

高梁市の山田方谷記念館で展示されているこちらの2通の書状、幕末の長州藩士、久坂玄瑞と木戸孝允が山田方谷に宛てたものです。

久坂玄瑞の書状は、安政の大獄で処刑された吉田松陰の遺骨を埋葬し直すための協力を依頼する内容です。また木戸孝允からの書状は、長崎の対馬藩が幕府の財政援助を得ようと方谷に2人の藩士を紹介したものです。

動乱の江戸末期、幕府と対立していた長州藩が、方谷を通じて幕府と交渉しようとしていたことがわかる興味深い資料となっています。

(高梁市教育委員会 上村和史主事)
「この書状からは、方谷自身の考え方というより方谷をめぐる人間関係がわかるので、方谷が幕末の政治や社会でどういう役割を果たしたのかということがさらに詳しくわかる。」

この特別展示は、5月9日まで高梁市山田方谷記念館で行われています。