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江戸幕府の大老・井伊直弼が幕末に暗殺された桜田門外の変を巡り、関わった薩摩藩(鹿児島県)の浪士を捜索に来た幕府の使者と、同藩の役人とのやりとりを記録した当時の史料が見つかった。筆者は不明だが、藩側が使者に賄賂を贈り、懐柔を図るなど詳細が記され、研究者は「変の裏面史として興味深い史料」と評価している。
桜田門外の変に関する新史料。「江戸表之大変」(桜田門外の変)や賄賂の「鯛」などの記述が見られる
史料は「佐敷表早書」と題した覚書で、佐敷宿(現在の熊本県芦北町)でのやりとりを記したもの。佐敷は熊本藩領だったが、薩摩藩主が参勤交代で宿泊する本陣があった。岩下哲典・東洋大教授(幕末維新史)が昨年、京都の古書店を通じて入手し、大学院生の小林哲也さんと分析した。
安政7年(1860年)3月3日に起きた桜田門外の変では、直弼の首を討ち取った薩摩藩浪士・有村次左衛門が重傷を負い、現場近くで切腹。その兄、雄助は関係者への事情説明と対応を協議する連絡役として京都に向かう途中、事件の波及を恐れた同藩の追っ手に捕縛されて鹿児島に護送後、切腹を命じられた。
史料は幕府の使者が17人で、幹部4人は本陣の御成門の中までかごで乗り入れたなどと描写。3月28日(万延元年)付の記載には、雄助の捕縛に関わった「坂口」という薩摩藩士の佐敷の「通行」を確認するため、佐敷の本陣を訪れた幕府の役人が「人馬」の台帳を見せるよう要求。坂口の名前がなかったため、船での通行を疑い、上陸地点を 執拗しつよう に尋ねたことが書かれている。
また、翌日付には幕府側に対し、同藩の役人は「 鯛たい 三 〆しめ 」のほか、「鯨」は彦根の宿場で役人に贈るなど、賄賂の目録を幕府側に提示したとある。岩下教授によると、鯨は現金の隠語の可能性もあるという。
明治時代の旧薩摩藩士の回想で、埋葬した雄助の遺体を幕府の使者に検分させ、その際に賄賂を贈ったことは知られていた。幕末史に詳しい歴史家の桐野作人さんは「役人たちの追及が薩摩領内に及ばないよう、事前に佐敷で買収を図ったのだろう。史料から、変の事後処理で幕府の追及が国境に及ぶほど厳しく、薩摩藩が対応に苦心した様子が分かる」と指摘する。史料は3月刊行の学術誌「白山史学59号」で紹介される。
◆桜田門外の変 =尊王 攘夷じょうい 派の水戸、薩摩の浪士らが、登城途中の井伊直弼を江戸城桜田門外で襲い、殺害した事件。勅許を得ずに米国と通商条約を調印したことや、「安政の大獄」で尊王攘夷派の志士らを弾圧した直弼の圧政が背景にあると考えられている。
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