みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 6月 2023

●「食料危機」 PHP新書、食料不安に見舞われている半数以上がアジア、1/3はアフリカ。大手コンビニ一店舗で、1日1万円以上の食料を捨てている。飢餓の主の原因は貧困。世界の食料廃棄量は年間13億トン。生産量のうち、1/3は捨てられている。2050年に100億人の人口増。農地を拡大しないで、今ある農地の生産性を高める。資源をもっと有効に使う。食生活を見直す。食品廃棄物を減らす。賞味期限の近づいた値引き商品から買う。買い物前に冷蔵庫の中を調べて行く。冷蔵庫内にある物で献立を考える。賞味期限が過ぎてもすぐ捨てず、五感で判断して食べる。外で飲み物を買うより、マイボトルを持ち歩く。エアコンは付ける時にもっとも電力消費するので、いちいち切らずつけっぱなしにする。衣料品は「パタゴニア」などの資源を有効活用する姿勢のブランドや店を選ぶ。着なくなった服はリサイクルに出す。
●「ペットロス いつか来る「その日」のために」 文春新書、深い悲しみに暮れる可能性があるが、それ以上にペットは幸せを運んできてくれる存在。一緒にいてくれることに感謝して大事に育ててあげたい。今できることはやはり、今の時間を大切にすることだと気づかせてくれる。
●「一汁一菜でよいと至るまで」 新潮新書 話題作、フランスにおける「一汁一菜、野菜スープとチーズとパン。日曜のディナーはローストした肉だが、それ以外の食事は慎ましい食事とのこと。フランスでも日本でも全ての料理は水から始まる。おむすびは携帯食、米はキチンと水が澄むまで洗うこと。具たくさんの味噌汁はおかずの一品を兼ねる。一汁一菜を料理のの入り口にして一つ一つおかずを作ってみて、10種類ほどできるようになればそれで幸せに一生やっていける。
●「日本史の裏側」 扶桑社新書、大阪の適塾時代、福沢諭吉は布団で寝たことがなかった。机に突っ伏して寝て、目が覚めたらまた書物を読む。その繰り返し。勉学の合間に、蘭書を写してその写本を売り生活費を稼いでいた。無理がたたり諭吉が腸チフスになると、緒方洪庵は我が子のように見舞った。松下幸之助はどんなことがあっても社員を見捨てることはしなかった。社員に対する感謝の念が強かった。会社存亡の危機にあっても、ただの一人も解雇しなかった。それが社員のやる気に火を付け、今日の松下電器全体の幸福に繋がった。幸之助は松下電器を大きく発展させてくれたあらゆるものに感謝、そして、幸福な社会実現へと願った。
●「日本銀行 我が国に迫る危機」 講談社現代新書、私たち一人一人が甘えや無理解、無責任から脱却、それぞれの持ち場で責任や負担を分かち合えば、この困難な局面を国全体としてなんとか乗り越えていくことができるのではないか。

城の払い下げで便宜図った新資料発見

明治政府による若松城跡(福島県会津若松市)の敷地払い下げを巡り、事前に薩摩出身の政府関係者が、会津側に内部情報を提供していたことを示す旧会津藩家老の手紙2通が見つかった。当時の陸軍大臣大山巌の「内示」や、旧会津藩主松平容保(かたもり)からの「御礼」を記す新資料で、鹿児島市の黎明館が確認した。薩摩と会津は戊辰戦争で敵対したが、専門家は「長く語られた遺恨とは異なる関係性が分かる」と評価する。6日に始まる企画展「幕末・明治初公開資料展」で展示される。

1890(明治23)年、陸軍省管轄だった全国各地の城郭跡が払い下げられることになり、2月12日には元藩主や官庁が希望した際は公売せず、「払い渡し」するよう閣議決定された。若松城は2月19日に容保の長男、容大(かたはる)の名前で代金2000円を支払った領収書が残っている。城は戊辰戦争で被害を受け、天守閣などの建物は明治初期に取り壊されていた。

手紙はいずれも旧会津藩家老の山川浩が、薩摩出身で陸軍会計局長だった川崎祐名(すけな)に宛てたもの。

1通目は閣議決定前年の89(明治22)年6月7日付とみられる。「過日大山(巌)大臣より若松城お払い下げ(中略)請願致せば公売に付せず払い下げになる」との内示があったと触れ、これを伝えられた旧主家(松平家)は「藩祖以来の縁故があるのみならず、戊辰の紀念でもある。ぜひともお払い下げ願いたい」と応じたとある。続けて「どのような手続きにて請願いたせばよろしいか」と川崎に尋ねる内容だ。

もう1通は払い下げの領収書と同じ日付の礼状で、「ご配慮をもって首尾よく相調い(中略)。旧主(容保)よりもよろしく御礼申し上げくれますよう」と記す。崎山健文学芸専門員(53)は「大山の胸中には、戦後の苦難もあった会津に対し、事前に情報を伝えることで資金調達の時間ができると考えたのかもしれない」と話す。大山の妻・捨松は山川の妹という間柄でもあった。

手紙は川崎の子孫が黎明館に寄託した資料に含まれていた。会津若松市の郷土史家野口信一さん(73)は「会津にとって薩摩は仇敵(きゅうてき)という意見もあるが、両者の間には表に出ない深い結びつきがあったことを証明する資料」と語った。南日本新聞  2023/06/03 18:03

旧会津藩家老の山川浩から薩摩藩出身の川崎祐名に宛てられた手紙。右側には「大山大臣」や「若松城」の文字が見える=鹿児島市の黎明館