みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

月別アーカイブ

Monthly Archives: 4月 2024

 滋賀県は22日、幕末から明治にかけて活躍した西郷隆盛が滞米中の大久保利通に宛てた自筆による長文の巻紙(縦15・8センチ、横4メートル75センチ)の手紙が県立琵琶湖文化館(大津市)に寄託された史料の中に含まれていたと発表した。これまでに内容は知られていたが実物が見つかったのは100年近く前の1927年以来とされ、「まごうことなき隆盛の自筆書簡。実物が出てくるとは驚いた」と専門家も喜んでいる。

 今回再発見された手紙は、1872(明治5)年に岩倉使節団の一員として滞米中だった大久保に留守政府首班の隆盛が送った手紙。宛名や記載年は書かれていないが、2月15日の日付や「西郷吉之助」の署名があり、同年に書かれたとされる。

 内容は岩倉具視や大久保らの出発後の国内情勢や旧薩摩藩主の島津家の内情などを詳しく報告しており、豊富な情報を有する日本近代史の一級史料とされる。また、追伸で大久保の肖像写真について「貴兄の写真はいかにも醜体(醜態)」と指摘する箇所があり、写真嫌いだったとされる隆盛の言葉としてしばしば引用されている。
 1927(昭和2)年出版の隆盛の書簡集「大西郷全集」に写真付きで紹介されたが、その後、現物は所在不明だった。ところが、昨年9月、滋賀県初の公選知事となった服部岩吉の関係者が同館に史料や絵画など5件を寄託。井上優副館長らの調査によって、その一つが「大西郷全集」で紹介された手紙の現物と判明した。

 また、隆盛の弟従道が「真筆に疑いない」とする鑑定書と、京都市の政治家だった坪田光蔵が服部に寄贈するとの書簡も手紙と一緒に見つかった。井上副館長は「まさか隆盛自筆の手紙を手にするとは思わなかった」と語った。公益財団法人西郷南洲顕彰会(鹿児島市)の高柳毅専門委員は「筋が通り、均一の行間で書かれるなど隆盛の筆跡の特徴が如実に表れている。良いものが見つかった」と高く評価した。

 手紙は5月27日~9月26日、県庁新館3階の県公文書館で特別公開される。【北出昭】