みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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先日の水害では、お見舞いのお言葉をたくさん頂きまして、ありがとうございました。現在の美観地区の様子です。倉敷美観地区は多少、倉敷川の水かさが少し高く淀みが出ていますが、被害なく通常通りです。水害被害地は、ここより6キロほど北側の総社市に近い地区となります。しかし、旅館などの宿泊は4割近いキャンセルがあり、私が良く通る、JRのCMで仲間由紀恵が通った小路も人影もなく寂しい限りです。

復興に頑張りますので、またお寄りくださいね。お待ちしております。

●「飲んではいけない認知症の薬」SB新書、不眠を覚えても睡眠剤を飲まなければ健康で長生き。毎日700個の神経細胞を増やすことが認知症治療の基本。体を使うと神経が冴え、脳の働きが活性化する。

●「発達障害と少年犯罪」新潮新書、動物の解剖や殺害を行うことと凶悪犯罪との関連の深さはさまざまな調査研究で指摘されている。この問題行動を早期に発見、すぐに行政に繋ぐシステムの構築が必要。
●「猫を撮る」、朝日新書、迷うことなく、猫の本はすぐ買ってしまう!!
●「ガンより怖い薬剤耐性菌」、集英社新書、大腸や皮膚には多くの微生物が棲みつき、免疫を付けたり外部侵入した病原微生物を抑えて多くの恩恵を与えてくれている。ところが、抗菌剤薬の乱用によりこれら微生物が殺され難病が急増している。
●「殺人に至る病」、ベスト新書、人は誰でも殺人者になりえる。彼らはためらわずに犯行に突き進んだ。心の中で何が起こっているのか。人を殺す、心の引き金とは、、!
●「帝国議会」、中公新書、静養で200年かけて定着した議会は、明治維新から約20年でどのようにして創られたか。憲法制定と近代日本の一大事業の全貌。

薩摩の小松帯刀邸(御花畑御屋敷)がどこにあったのか、確実な史料がありませんでした。ところが、平成28年(2016年)に偶然、新たな史料が見つかり、御花畑御屋敷は鞍馬口通りにあったことが確定されました。その地に御花畑御屋敷の碑が建てられたのは「フランジパニ」という喫茶店の店先で、お店の方も快く許諾して頂けたそうです。御花畑御屋敷は鞍馬口通 約90m、室町通 約60m、中町通 約140m面 約1800坪 という広大な邸宅でありました。薩長同盟は慶応2年(1866年)1月21日に締結、龍馬や慎太郎の仲介で、対立していた西郷、大久保、木戸らがこの小松邸に集まりました。明治維新の大きな転換点となった同盟です。京都市営地下鉄「鞍馬口」下車。徒歩3分

●「中国新興企業の正体」KADOKAWA 自転車シェアサービスの「モバイク」、ドローン製造の「DJI」、ネット出前の「ウーラマ」、amazonをしのぐ勢い「ファーウェイ」、そして、「アリババ」世界に挑戦する中国のニューエコノミー企業が世界を席巻しつつある!
●「子供の発達障害に薬はいらない」青春新書、睡眠を見直したら多動が一週間で改善、薬は症状を一時的に抑えるだけ、、。
●「日本統治下の朝鮮」中公新書、日本による統治下に多くの問題があったのは確か、しかし、その後の朝鮮の発展、はたして「収奪」だけだったのか!
●「ルポ児童相談所」朝日新書」、夫婦ゲンカに巻き込まれたゼロ歳児、保護者に遠慮し通報を躊躇する保育園、性的虐待のある女子中学生、「死んでやる」と包丁を振り回す母親、、
●「お金で読み解く日本史」 SB新書、人やモノではなく「お金の動き」で見ると日本史の根幹がわかり、歴史は100倍面白くなる!

仁和寺の見学の後、いくつか史跡を巡って来ました。

仁和寺の南、双ヶ丘の東麓の長泉寺は、『徒然草』の作者、吉田兼好の隠居地といわれています。門の前には、「兼好法師舊跡」と刻まれた石碑が置かれています。『徒然草』は清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆の一つと評価されています。

29日(日)に京都非公開文化財公開の見学に行って来ました。☆ 仁和寺 ・本坊 ・本坊金堂 《国宝》 、御本尊阿弥陀三像坊にて 「錦御旗 」・「戊辰戦争絵巻 」・「戊辰戦争時の軍服 」を見学して来ました。残念ながら撮影禁止でしたので、脳裏に焼き付けて来ました。

仁和寺(にんなじ)は、真言宗御室派の総本山で、創建当時より皇室との結びつきが強い寺院です。出家後の宇多法王の住まいになり御室御所(おむろごしょ)とも呼ばれ、御室桜と呼ばれる桜の名所です。明治時代まで皇族が代々の住職を務めており、1994年(平成6年)には世界遺産にも指定されました。電気機器の会社オムロンの発祥の地でもあります。良い名づけ方ですよね。

幕末に関しまして、たくさんの新聞記事や史跡探訪しました時のものがでてきました。今回は、「橋本佐内の書状」に関しましての新聞記事をご紹介いたします。

橋本左内の書状を県が取得 福井藩校教諭宛て4通 安政の大獄で拘禁される直前、橋本左内が福井藩校の2教諭宛てに送った自筆の書状=25日、県庁  福井県は25日、幕末の福井藩士橋本左内が安政の大獄で拘禁される直前の1858(安政5)年5~9月、福井藩校の2人の教諭宛てに送った自筆の書状4通を購入したと発表した。この時期の自筆書状は少なく、歴史的に価値が高い。また藩主の松平春嶽が処罰を受けた時の左内の心情などがつづられ、内容的にも貴重な史料。26日から福井市の県立歴史博物館で特別公開する。  4通はいずれも、幕政改革を訴えるなど江戸で活動していた左内が、福井藩校・明道館の教諭だった藩士榊原幸八、伊藤友四郎の両名宛てで送った。これまで左内に関する史料は「橋本左内全集」(1908年)、「橋本景岳全集」(39年)にほぼ収録されていたが、4通の書状は未掲載。  書状には福井藩に招かれ政治顧問をしていた横井小楠の体調を気遣ったり、明道館の運営に対する助言、米価高騰など江戸の情勢、自身がマラリアの一種「瘧(おこり)」を患ったことなどがつづられている。  春嶽が大老・井伊直弼(なおすけ)から隠居謹慎の処罰を下された直後の7月15日付では「臣下の心は痛嘆に耐えかね、誠に血涙の至りです」「志気も消え失せ、ほんのわずかもこの世に望みはなく思っております」との文面で、春嶽のことを思い、悲嘆に暮れる胸の内が強く表現されている。  4通とも縦20センチ、長さ7・5メートルほどの巻物1本に張り付けられている。明治・昭和期の思想家で歴史家の徳富蘇峰(そほう)が1930年に記した奥書もあり、蘇峰が一時所有していたとみられる。蘇峰は奥書で「ゆったりとして巧みな言葉の使い方からは、余裕のある英雄の度量が感じられる」などと左内を評価している。  書状は4月中旬、福岡市で古書展示即売会に出品されていたのを越前市出身の歴史学者、猪飼隆明・大阪大大学院名誉教授が見つけ、連絡を受けた県がこのほど購入した。価格は190万円。この書状は84年に福井市立郷土歴史博物館で公開されたことがあるという。  県立歴史博物館では「橋本左内書状―書状から見える幕末の福井と日本―」と題して5月26日まで特別公開する。併せて仙台藩主伊達慶邦(よしくに)が春嶽に宛てた書状や、同館が所蔵する左内、小楠らの書状も展示する。27日と4日の午後2時からは同館学芸員による展示説明会がある。(2013-4-26 福井新聞)

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