みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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29日(日)に京都非公開文化財公開の見学に行って来ました。☆ 仁和寺 ・本坊 ・本坊金堂 《国宝》 、御本尊阿弥陀三像坊にて 「錦御旗 」・「戊辰戦争絵巻 」・「戊辰戦争時の軍服 」を見学して来ました。残念ながら撮影禁止でしたので、脳裏に焼き付けて来ました。

仁和寺(にんなじ)は、真言宗御室派の総本山で、創建当時より皇室との結びつきが強い寺院です。出家後の宇多法王の住まいになり御室御所(おむろごしょ)とも呼ばれ、御室桜と呼ばれる桜の名所です。明治時代まで皇族が代々の住職を務めており、1994年(平成6年)には世界遺産にも指定されました。電気機器の会社オムロンの発祥の地でもあります。良い名づけ方ですよね。

幕末に関しまして、たくさんの新聞記事や史跡探訪しました時のものがでてきました。今回は、「橋本佐内の書状」に関しましての新聞記事をご紹介いたします。

橋本左内の書状を県が取得 福井藩校教諭宛て4通 安政の大獄で拘禁される直前、橋本左内が福井藩校の2教諭宛てに送った自筆の書状=25日、県庁  福井県は25日、幕末の福井藩士橋本左内が安政の大獄で拘禁される直前の1858(安政5)年5~9月、福井藩校の2人の教諭宛てに送った自筆の書状4通を購入したと発表した。この時期の自筆書状は少なく、歴史的に価値が高い。また藩主の松平春嶽が処罰を受けた時の左内の心情などがつづられ、内容的にも貴重な史料。26日から福井市の県立歴史博物館で特別公開する。  4通はいずれも、幕政改革を訴えるなど江戸で活動していた左内が、福井藩校・明道館の教諭だった藩士榊原幸八、伊藤友四郎の両名宛てで送った。これまで左内に関する史料は「橋本左内全集」(1908年)、「橋本景岳全集」(39年)にほぼ収録されていたが、4通の書状は未掲載。  書状には福井藩に招かれ政治顧問をしていた横井小楠の体調を気遣ったり、明道館の運営に対する助言、米価高騰など江戸の情勢、自身がマラリアの一種「瘧(おこり)」を患ったことなどがつづられている。  春嶽が大老・井伊直弼(なおすけ)から隠居謹慎の処罰を下された直後の7月15日付では「臣下の心は痛嘆に耐えかね、誠に血涙の至りです」「志気も消え失せ、ほんのわずかもこの世に望みはなく思っております」との文面で、春嶽のことを思い、悲嘆に暮れる胸の内が強く表現されている。  4通とも縦20センチ、長さ7・5メートルほどの巻物1本に張り付けられている。明治・昭和期の思想家で歴史家の徳富蘇峰(そほう)が1930年に記した奥書もあり、蘇峰が一時所有していたとみられる。蘇峰は奥書で「ゆったりとして巧みな言葉の使い方からは、余裕のある英雄の度量が感じられる」などと左内を評価している。  書状は4月中旬、福岡市で古書展示即売会に出品されていたのを越前市出身の歴史学者、猪飼隆明・大阪大大学院名誉教授が見つけ、連絡を受けた県がこのほど購入した。価格は190万円。この書状は84年に福井市立郷土歴史博物館で公開されたことがあるという。  県立歴史博物館では「橋本左内書状―書状から見える幕末の福井と日本―」と題して5月26日まで特別公開する。併せて仙台藩主伊達慶邦(よしくに)が春嶽に宛てた書状や、同館が所蔵する左内、小楠らの書状も展示する。27日と4日の午後2時からは同館学芸員による展示説明会がある。(2013-4-26 福井新聞)

ザ・戊辰研マガジン第6号が発刊です。

私も書いております。戊辰150年の今年、このマガジンを何百人という驚くほど多くの方が閲覧してくださっています。とてもありがたいです。更に、編集者一同努力して参りますので、これからもご愛読の程、宜しくお願い申し上げます。

今月第6号の表紙は、岡山県備中吹屋の街並みを参勤交代が高速で駆け抜けている場面です。詳細は記事に書かれています。お読みくださいね。

https://boshinken.publishers.fm/

 

春ですが、読書もしています、今月の新刊!
●「浅見光彦と七人の探偵たち」論創社、親友の織江耕太郎さんも書かれておられます。久しぶりのミステリー、楽しみました。

●「できる大人は、ひと言、加える」青春出版社、できる上司は「ダメ出し」ではなくて「惜しい」を使う。誉める達人になる3つの言葉は「すごい」「さすが」「素晴らしい」。ピンチを脱する魔法の質問は「これは何のチャンス?」。騒ぐ子を一瞬で静かにさせる意外なひと言は「元気いいね」、「おやすみ」の後に「また明日」をひと言加える。

●「ダントツ企業」NHK出版新書、セブン銀行では利用者はATMの使用料を払うことはない。手数料を払っているのは利用者が各銀行からお金を引き出している銀行の方なのだ。セブン銀行の顧客はその各銀行なのである。今や、セブン銀行は、セブンイレブンをしのぐ40倍の超高収益事業となっている。ネスレはグリコのビジネス(お菓子ボックス・冷蔵庫を職場に貸出、その中から選び代金を払うという)に学んでいる。「富山の薬売り」と同じ商法なのだ。これが、今、順調とのこと。

●「病気知らずの体をつくる粗食の力」青春新書、「ブドウ糖液糖」「コーンシロップ」などは異性化糖で、白砂糖や食用油は極度に精製されているため自然界ではありえない成分となっている。そのため、味覚をおかしくさせている。りんごジュースなどは、香料や酸化防止剤などが使われている。その食品の原型がわかる物を買うこと。表示を見て文字数が少ない物を購入すること。外食は油を使っているものは避けること。

●「臨終の七不思議」幻冬舎新書、煙と土に還るには、20万掛かると覚えておこう。供養は人の為ならずなのである。臨終を考えることはどのように生きるかを考えることに繋がる。

●「息子が人を殺しました」、犯人の家族に群がる宗教集団や霊媒師。警察から丸裸にされ、味方もなく、無実の家族が自白を強要される。事件後の出費は数百万にも。

●「児童虐待から考える」、虐待を防ぐには孤独に育つ子供を減らす、人間は孤独では生きていけない。

美観地区周辺の歴史的町並みが舞台です。優しい光を放つ行灯やLEDライトで発光された影絵などが配置され、ほのぼのとした灯りのエリアが登場です。早春の倉敷の町並みを温かな灯りが包み、夜の散策を楽しみます。3日から18日まで影絵が実施された、最終日とその前日の「スペシャルデー」にはさまざまな催しが行われました。

早いものです。
おかげ様で戊辰研マガジンも第5号の発刊となりました。
記者の皆さんも気合を入れての記事投稿です。
味わい深い記事を、じっくりお読みください。
表紙は、京都の街を新選組が走るイメージをイラスト風に仕上げてみました。
https://boshinken.publishers.fm/

 

神戸には、漢方薬店が多くあります。この燻したマムシやスッポンはミキサーで砕いてかくはんし、粉にして服用します。「すぐできます」と店の垂れ幕にありました。効きそうですね。友達の話ですが、自宅の裏山でマムシが出て来て、殺虫剤で殺したそうです。後から、おばあさんがとても残念がっていたそうです。なぜなら、マムシの焼酎漬けにしたかったのにとのこと。殺虫剤をかけられたら、そんなことはできませんよね。ネズミ用粘着トラップや地方によっては貸し出しされている専用器具で捕獲する事ができるそうですが、、、。

 

三ノ宮駅近くの大丸デパート、その丁度前に、「三宮神社」があります。「三宮神社」は、大きな事件があった場所です。神戸事件と言います。神戸事件(備前事件)は、慶応四年一月十一日、神戸三宮神社前で備前藩が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ、そして、銃撃戦に発展、居留地予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた事件である。同年一月三日、戊辰戦争が開戦され、明治新政府は備前藩に摂津西宮(西宮市)の警備を命じていた。前年の慶応三年十二月、兵庫開港(神戸港)に伴い、徳川幕府の大名行列と外国人の衝突を避けるための迂回路「徳川道」を通らず、西国街道を進んだことが事件の引き金の一つとなった。生田川の河原で撃ち合いとなり、備前側では、家老日置が撤退を命令、双方とも死者も負傷者もほとんど無かった。 急遽、明治新政府は東久世通禧を代表として交渉を開始した。結果、備前藩は諸外国側の要求を受け入れ、備前藩士の滝善三郎を切腹させて、一応の決着を見た。理不尽な植民地支配下に置かれる事態も起こり得たことから、滝の犠牲によって危機回避がなされたのである。もう何度も来ていますが、幕末の生々しい腹切り事件として有名です。

神戸で「ボストン美術館展」を鑑賞して来ました。神戸は生まれ故郷です。懐かしさで一杯です。


「神戸」という地名は、市内にある生田神社の集落が神戸「かんべ」であったことに由来するという。海と山との隙間に細長く市街地があり、それがため十分な水深がある理想的な港となっている。遣隋使の時代から港はあり、平清盛が貿易の拠点として整備した。明治維新、神戸村が事実上の開港場となり、外国人居留地などが造られ、1879年、正式に「神戸港」となる。後、上海・香港・シンガポールをしのぐ規模となり、世界にその名を知られるほどに繁栄していく。高度成長期には、ポートアイランドなどの人工島を整備し、「神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア’81)」を開催して成功させ、「世界で最も住みやすい都市」として、日本の都市で唯一トップ10に入っている。