みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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今しがた、岡山県のローカル・ニュースを付けましたら、ジャスト・タイミング、
「山田方谷記念館」が本日よりオープンだそうです。岡山県大佐町という所だそ
うです。岡山県民ですが、大佐町ってどこにあるのでしょう。行かなくてはいけ
ませんね。

http://www.town.osa.okayama.jp/koho/2004/200402/200402_041.html

西日本にお住まいの方はGWには京都に行きましょう。
「新選組!」にちなみフリーきっぷ JR西日本が4月発売

 JR西日本は4月1日から、NHKの大河ドラマ「新選組!」の舞台になって
いる新選組屯所跡などの観光スポットを見て回るのに便利な「京都フリーきっぷ」
と「京都・新選組見聞録パス」を発売する。
 「京都フリーきっぷ」は、九州、中国、北陸、南紀、北近畿地域から京都へ
往復する新幹線や特急列車(ともに普通車指定席)と、京都市内を中心とするフ
リー区間内での普通列車が利用できる。有効期間は3日間で、京都市交通局や京
福電気鉄道、叡山電鉄の1日乗車券がつく。発売は11月28日まで。
 また、「京都・新選組見聞録パス」は、滋賀県内や阪神地域から京都への往復
と山陰線京都-二条間のフリー区間で普通列車を利用できる割引切符。新選組屯
所跡の「八木邸入場券」がセットになっている。12月19日まで販売する。
 4月1日から5月16日まで、寺院拝観やレンタサイクルの割り引きがセット
になった「嵯峨野散策きっぷ」も発売する。4月29日と5月1日-5日には、
神戸-嵯峨嵐山間を1日一往復する臨時快速「嵐山わかば号」を運行する。(京
都新聞)
[3月29日21時0分更新]

北海道の方は必見、乗れたら良いですね。

「スーパー北斗」に土方歳三が登場-函館 【写真】  2004/03/21 03:00
 【函館】札幌-函館間を走るJR北海道の特急「スーパー北斗」の一部の
先頭車両外観に二十一日から、NHKの大河ドラマ「新選組!」副長の土方歳三
が登場する。

 「歳三トレイン」は四編成あるスーパー北斗のうちの二編成。先頭車両の前部
には、俳優の山本耕史さん演じる歳三が縦、横各約三メートルの大きさでお目見
え。後部には歳三と、女優の田丸麻紀さん演じる恋人お琴も。

 ドラマの主人公は近藤勇だが、JRは「北海道は、やはり函館で没し
た土方です」。十二月まで運行する。

新刊案内、
「新選組 高台寺党」 市居浩一  新人物往来社  2800円
高台寺党だけを取り上げた本は初めてだそうです。

寒いですね、ここ倉敷でも雪が舞っていました。

昨夜の金曜、5日、夜7時30分から、私の居住しております岡山のみ
山田方谷の番組が放送されました。
http://ftown.boo.jp/takahashi/houkoku/
この番組は全国放送をする前に地元の岡山だけのプレゼントだと
思っています。本当に素晴らしい番組でした。
方谷先生役とナレーションの寺田農がやはり上手いです。

見ながら打ち込みました、放送のまとめです。

今、山田方谷見ています。ゲストのインタビューも入って
なかなか力が入っています。さすがNHKです。

備中松山藩、借金が10万両、その利子が1万両、10万両は今のお金
で200億円。
参勤交代の駕篭かきでさえ、備中松山の駕籠は担ぐなと言われた。

農民出身の方谷、破産寸前の備中松山藩をわずか7年ほどで赤字を解消させた。

佐久間象山と江戸で佐藤門下で会うが、方谷はいつも論破していた。

厳しい節約や規則よりも、農民・庶民を慈しみ育てよ、利益は
後から付いてくる。

大阪商人の負債の整理、利子の支払いで苦慮していた。
方谷は大阪に向かい、事実を真摯に語り、商人達の心を動かし、
50年という返済要求を受け入れさせたのです。

良い物を売れば必ず売れる、備中クワの誕生です。

他にも備中という名前を付けて売り出した。
今のブランド物の先駆けです。商品などは、山間の小さな藩で
ありながら外国船の持ち船を買い、大阪ではなく江戸に送った。
今で言うアンテナ・ショップです。売上は評判を呼び
売れに売れました。藩そのものを会社組織に変えたのです。

苦しい時にあえて積極的に打ち出した方谷。

経済を改革した後、いよいよ藩札の信用に挑みます。
膨大に乱発され、価値が下がり続けていました。
残っていた藩札をきっちりと返し今で言うと12億円を返します。
その返済を終えた藩札をみなの前で焼き捨てるのです。
一度信用を失ったものは捨て去るべき、と。
これが全国に広まり、方谷の名前は知れ渡ります。

藩の軍隊も作り上げ、特産品の売上で富国強兵が進められた。
まさにオールマイティの方谷。

能力があればどんどん取り上げて育てた。
自ら死ぬ覚悟でやらないと何もできない。

継之助は最初に出てきて、30分たった今も出ています。
逸話がたくさん紹介されています。

武士の給料を減らし節約を実践、しかし、これが武士達の恨みを買い、
命を狙われ、賄賂をもらっているのかと疑われ、方谷は自分の家計
をガラス張りにして公開していました。セットではない、高梁の旧家か
で収録されているので「臨場感」がたっぷりです。継之助が麦飯を食べて
「義」の教えを方谷から学んでいる場面があります。

商人や農民にも学問を奨励し、寺子屋もたくさん出来ました。全日空の
社長も会社の改革をするに当たって、方谷の本を読んで勉強していると
出ています。強い意志の元、背水の陣で臨まないと構造改革などできな
い、とのこと。7,8年で改革を成し遂げたのは非常に参考になるとのこと。
日本再生の知恵を今、教えてくれるように思います。

継之助は人生で最も充実した日々を送れたと方谷に告げ、真心と痛みを
分かることができたら、物事は上手く運ぶでしょう、との教えを方谷から。
二人でクワ持ち耕す場面で継之助の出番は終わりました。方谷先生の
愛用の大きなヒョウタン(本物)も出てきました。方谷といえども、
妻に二度逃げられたこともあったそう。
全国の志士からの手紙が今も山田家に保存されています。方谷、
吉田松陰の遺体を掘り起こすのを幕府に掛け合いました。

継之助、死ぬ間際に備中松山に行くことがあったら方谷先生に
伝えてくれ、継之助は生涯先生の教えを守ったと、と付き人に
伝えています。涙がでてきまました。

大久保利通は明治政府にと招きましたが、方谷先生は年が寄っ
ているからと断っておられます。明治の大臣になっていたら、
どんな大臣でも、何をしてもできたでしょう、万能の人ですね。
奇跡と呼ばれた方谷の財政改革、150年を経過して再び注目を
浴びようとしています。生涯、義の姿勢を貫き通した方谷、
改革への確かな道を迷っている現在日本に良い手本、日本に
よくあった手本が示されている。弱肉強食のアメリカ流では
なくて、日本にあった改革は方谷にあるのではないか。

貴重な資料も紹介されています。こんな資料はなかなか目
に出来ません。商人や農民にも学問を奨励し、寺子屋もた
くさん出来ました。

番組が終わりましたが、15分ほどの方谷先生の足跡を紹介
しています。高梁高校の石段、先生がよく歩いていた場所
だそうです。高梁の町をゆっくりと紹介しています。

食べ物の最新の値段をいつも知っていた、庶民の暮らしを
よく知っていた。
月一度、方谷会がお墓参りしている様子、盆踊りにも先生
を褒める歌詞が入っている。ここまで、今、現在も地元の
方に親しまれ、うやまれて誇りに思う、大切にされている
方谷先生、藩主さえ、方谷の教えを守り農作業していた。
地元の方谷会の方が貴重なお話をたくさんしておられます。
高梁ではいろいろな視点から
方谷研究がされています。庄屋のネットワークを作り、
農業の情報を得ていた方谷、情報が命の農業をしっかり
把握していた。方谷林公園、高梁を望む小高い丘に作
られています。方谷先生の漢詩の碑があります。方谷
先生は生涯に1500の漢詩を残されました。

人間としての幅の広さが今なお人々に愛されている方谷
先生。高梁、今も方谷が息づく町です。   

ナレーションをできるだけ忠実に打ち込みました。
内容が少しでも味わえましたでしょうか。

* ダビングテープを400円(テープ、送料、封筒代全て込み)
  の実費でお分けします。郵便小為替・郵便振込み・
  銀行振り込み、いずれでも可。

  私までDMを下さい。

ちょっと今日は暖かかったですね。
風邪を引き、鼻の下に熱の花ができて、恥ずかしいので
マスクをして外出しているのですが、花粉症ですかと
言われるようになりました。春近しですね。

さて、芹沢鴨、下働きのお婆さんはとても良い人だったと
言い残しています。
でも、あの吉良上野介も地元では評判が良かった。
大河ドラマ「新撰組!」前半の山場はやはり芹沢が
いてこそですね。
彼がいなければ新撰組もワサビが効いてないですね。
しかし、彼の鉄扇、どんなんやったんでしょう。
今も現存しているんでしょうか。
見てみたかったわ。

昨日の伊東成郎さん深夜ラジオ放送のまとめです。

土方の写真を新撰組を知らない20名ほどに見せたら、
明治・大正期の法律関係の人と答えた人が多かった。
女性が定期入れに入れているのを目撃したこともあ
ります。講演会に来てくれる人も女性が多いです。

江戸から京都へ、清川八郎のあの言動のため江戸に多く
帰ってしまい、24名からのスタートだった。最初は修学
旅行生のようにぞろぞろと御所を見学したそうです。

池田屋の息子が明治9年に事変当時のことを克明に記した
資料を京都市に提出しています。その資料の存在はつい
先日分かりました。それで、このことは今始めてここで
お話します。
吉田稔麿(24才)、当日の夜10時に池田屋に到着し、帳場で
手紙をあちこち届けさせています。それからすぐ十数名集
まってくるのですが、近藤らが池田屋に突入したのもその
10時あたりで、どうやら、近藤達は吉田に呼び出された人達
が入っていくのを目撃したから分かったのではないかと思っ
ています。古高奪還のため新撰組を襲おうと話していた時に、
その新撰組が押し入ってきた、吉田達の慌てぶりは想像を
絶するものだったでしょう。茶碗や皿も投げつけたと資料
に残っています。翌朝の6時から7時まで池田屋のみならず
市中大捜索して逃げた者達を捜索していた。

壬生浪士、かえるの行水、などと呼び捨てられ、北海道に
行っても尚、新撰組とは呼ばれず、壬生浪士と呼ばれていた。

浅黄色のあの隊服は当時の死装束の色で、処刑される者が
着る色合い、しかし、武士は好んだといいます。五年間で
20人未満の浪士を斬り、新撰組は捕そくを多くしていた。
身内は40名以上を粛清した。六年あまりの存続、しかし、
その存在感は凶暴・悪役なれど、彼らの存在の面白さは
比べるものとてない。

永倉新八、歴史が用意した語りべ、彼がいなかったら
こうまで新撰組のことは分からなかった。近藤は薩摩の
多くの要人からも武士として死なせてやりたかったと
いう言葉が多く残されている。

ある隊士の墓に添えられたノートに、
「妥協しない青春て好きだ」の一行、思わず自分の
ノートに書き写したほど心に残る一言でした。

では、また。

とうとう、今年二度目の風邪を引いてしまいました。
インフルエンザが流行っていますので、くれぐれも
ご注意下さい。

さて、札幌雪祭り、今年は五稜郭築城140周年でもあり、
その五稜郭と土方歳三の雪像が造られていると耳にしました。
北海道の友達に行ったら写真を写して来てと頼みましたが、、
どんな土方像が造られているのでしょうか。
一見の価値ありでしょうね。

では、今書店に並んでいる「歴史街道」2月号 
近藤勇と新撰組、続きです。

「選」と「撰」どちらが正しい?  山村 竜也

 隊名を与えた会津藩側では「新撰組」(新撰組という名称は会津藩に
 かつて存在した武闘集団)という意識があったとしても、与えられた
 近藤側にはそれほどのこだわりがなかったということ。当時は現在
 と違って、漢字の表記についてはとてもおおらかで、音さえ合って
 いればどうでもいいというようなところがあった。現代の我々に
 とっては「選」か「撰」かは重要な問題であっても、当の彼らにして
 みれば、取るに足らないことであったのかもしれない。

隊服は黒ずくめだった?     山村 竜也

 デザインが派手で、素材も夏向きの麻であったため、見た目にも安っぽく
 製作当時こそ使われていたが、次第に誰も着なくなったという。最後に
 目撃されたのは、池田屋事変の時であったから、その後、間もなく廃止
 されたと考えられる。使用期間は2年も満たない短期間であった。それ以後
 はの制服はというと、肥前藩士の記録によると慶応三年のある日、京都
 市中での記述に「黒衣黒袴、問わずしてその新撰組たるを知る」という
 箇所がある。断定することはできないが、ありえる話ではある。

今、書店に並んでいる「歴史街道」2月号 近藤勇と新撰組、
読みました。
ここのみなさんもお読みになった方も多いと思います。

ちょっとメモ書きみたいに打ち出してみました。

最後まで人を惹きつけた不思議な魅力  岳 真也

 「池田屋事変」のおりのこと、共に戦っていた永倉新八や
 藤堂平助らが負傷し、沖田総司が持病で倒れても、なお、一人
 気を吐いて戦闘を続行した。灯火は全て消され、互いに手探り
 の斬り合いである。この時、戸外にいた谷三十郎が「近藤先生
 のものすごい気合が聞こえた」と述懐している。そうした気概、
 戦う姿勢は、彼に従う者にとっては、良い手本となる。これこ
 そは、近藤勇がトップになり得た第一の要件といえる。しかし、
 近藤勇は蛮勇の人ではなかった。武辺一途ではなく、頭も冴え、
 冷静さも兼ね備えていた。

 まだ勇らが江戸にいた頃、経営難で妻のツネが「生計も成り立たぬ
 のに、何故食客をおいたりするのか」と恨み言を言うと「粥をすすって
 でも、おのれの元に頼ってきた者を見捨てることはできぬ」と
 きっぱり言い切っている。

 食客とは、いつの間にか道場に住み着いてしまった永倉新八や
 原田左之助、山南敬介らのことだが、この話にみられる勇の「侠気」が
 彼らが勇と行動を共にした大きな理由の一つだろう。土方などとは
 違い、美男とはいえぬ顔立ちながら、勇が京の妓たちにもてはやされ
 深雪太夫をはじめ、幾人もの愛妾を得たのにも、そういう彼の「心
 やさしさ」が絡んでいたような気がする。

                  続く

今月の飛び石連休に琵琶湖の城めぐりをして来ました。
彦根城・小谷城・長浜城・安土城跡、姉川古戦場と戦国にぴっしり
はまって来ましたが、やはり幕末、本屋に行くと空前の新選組
ブームで、呆れるほど新選組本が山積みされていましたね。

で、今年最後に買って来た幕末本です。

「新選組は京都で何をしていたか」 伊東成郎  KTC中央出版 1800円

 新選組研究にかけては第一人者の伊東さんだけあって着眼点が新鮮で
面白く読めました。お薦めの一冊!

「沖田総司を歩く」 大路和子  新潮文庫  514円

 歴史紀行&史跡ガイド本。ゆかりの地を東西に訪ねる。
史跡や遺品の写真、観光にも便利な地図も豊富。

「いつの日か還るー島田魁伝」 中村彰彦    文春文庫

 この本は以前に図書館で借りてここで感想を書きました。
手元に置いておきたくて文庫を買いました。

「俳遊の人 土方歳三ー句と詩歌が語る新選組」 管 宗次 PHP文庫

 近藤の漢詩と土方の俳句を中心に語ったユニークな本で面白い。

ブームのおかげでこれまで手を出しかねていた大冊が次々文庫化
されるのは嬉しい限りです。

では、みなさま、良いお年をお迎えください。

また来年も宜しく!

では、今日の幕末話、、

“龍馬の短銃”発売 空港の愛称化記念

 11月15日に高知空港の愛称が「高知龍馬空港」になるのを
記念し、「坂本龍馬先生の短銃(PISTOL)」=写真=が高
知市の「カリノ美工」から発売されている。

 モデルの短銃は、龍馬が高杉晋作から護身用としてもらい、
寺田屋事件(1866年)の際に使ったもの。銅と真ちゅうを
用い、ずっしり本物の重量感を持たせている。

 同社代表の狩野信児さん(59)は来春、同市にオープン
予定の「龍馬の生まれたまち記念館(仮称)」など多くの龍馬
関連の仕事を手掛けている。

 「龍馬と短銃といえば、懐の右手のなぞで語られるが、
龍馬グッズとしてはあまり出回っていない。ファンは興味
深いのでは」

 売り上げの一部を基金化し、空港に龍馬の胸像を寄贈する
計画もあるといい、「“龍馬”を冠するのを機に、観光客の
玄関口の空港でもっと龍馬をPRしていきたい」と意気込ん
でいる。

http://www.nhk.or.jp/archives/fr_back.htm

■大河ドラマ「竜馬がゆく」が先日の26日に放送されました。

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1968年(昭和43年)1月~12月 放送

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 昭和43年、大河ドラマとして放送された司馬遼太郎原作の
「竜馬がゆく」。
 昭和38年「花の生涯」から始まった大河ドラマは、今年放送中の
「武蔵」で42作目になりますが、「竜馬がゆく」その6作目です。
主人公の竜馬を演じたのは、当時25歳の北大路欣也さん。豪放磊落
(らいらく)な竜馬をみごとに演じています。
 今回放送するのは第16回の「脱藩(だっぱん)」、NHKに一本
だけ残されていた貴重なテープです。
 風雲急を告げる世の中の情勢を知り、大きな志を抱いた竜馬が、
周りの人々の力添えを得ながら脱藩を決意するまでを描きます。

【 出演 】
坂本竜馬 北大路欣也
乙女 水谷良重
武市半平太 高橋英樹
八郎兵衛 下元 勉
源じいやん 巌 金四郎
那須信吾 藤岡重慶
吉村寅太郎 轟 謙二
権平 下川辰平
栄 八木昌子
おやべ婆やん 菅井きん
千野 佐原妙子
春猪 二木てるみ
美似 岩井友見
(ほか)

【 制作スタッフ 】
原作 司馬遼太郎
脚本 水木洋子
音楽 間宮芳生
演奏 新室内楽協会
テーマ
音楽演奏 NHK交響楽団
指揮 外山雄三
時代考証 稲垣史生
古武道指南 杉野嘉男
殺陣 林 邦史朗
美術 川上  潔
技術 山口克朗
フィルム撮影 赤城久雄
演出 和田  勉
制作 森 理一郎

語り 滝沢  修

【 リクエスト紹介 】
◇ 平林由美子さん 埼玉県 女性 30代
 「もう一度見たいあの番組」のリクエストになっていますが、
実は私はこのドラマを見たことがありません。この年に生まれ
たからです。けれどあえてリクエストさせてください。学生時代
に「竜馬がゆく」を読んで坂本龍馬が大好きになりました。
幕末時代の小説や本を読んだり、京都に行ったりして幕末に
触れてきましたが、唯一悔やまれるのがこの大河ドラマを
見たことがない!というのことです。是非再放送してください!!
お願いします。

◇ 松本譲二さん 千葉県 男性 40代
 今は経済も人としての信用も地に落ち、若者もシラケ世代を
通り越し何に対しても無関心で情熱のもてない時代になった感が
あります。
 ここで是非、竜馬のように大きな意思を持ち、人間としても魅力
ある人物がいた事を再確認すべきではないでしょうか。近代日本を
作るキッカケの一人でもあり、そんな竜馬が現代に生きていれば
今の時代をどう見るか聞いてみたい気がします。

 「幕末の京都 新選組と龍馬」

 歴史フォーラムがシンポ

 京都歴史フォーラムが公開シンポジウム「幕末の京都 新選組
と龍馬が駆け抜けたまち」を、11月12日午後6時半から京都市
中京区丸太町通七本松西入ルの京都アスニーで開く。
参加者を募集している。

 平安京建都や応仁の乱など、京都の歴史を題材にして毎年公開
シンポを開催している。今回は、京都が幕末の主な舞台になった
理由や背景について、新選組と龍馬を基に考える。

 シンポでは、下坂守・京都国立博物館学芸課長がまとめ役になり、
木村幸比古・霊山歴史館学芸課長と伊東宗裕・市歴史資料館課長
補佐がパネリストとして幕末について意見交換する。

 参加料1000円。申し込みは往復はがきで、
〒602-0867京都市上京区寺町通丸太町上ル、市歴史資料館内
の京都歴史フォーラム

Tel:075(241)4312。

やっと秋らしい天候になってまいりました。
日中はまだまだ暑いですが、体調の崩れなど
なさいませんように!

さて、今月の新刊です。

「鞍馬天狗」 川西 政明・著  岩波新書 700円

 大正・昭和の小説や映画で一時代を築いた鞍馬天狗。
大佛次郎のシリーズ小説四十七作を基に、勤王の浪士と
して幕末をどう生きたか、その革命観、人を斬る意識の
移り変わりを綿密に分析する。

「幕末維新・あの人のその後」  日本博学倶楽部 
                   PHP文庫 514円

 新撰組から明治の指導者、かの坂本龍馬、最後の将軍
徳川慶喜など、幕末の輝けるヒーローは数多い、ところが、
彼らの名前は知っていても、「あの人は、それからどう
なった?」と聞かれたら思わず悩んでしまうものだろう。

 本書は誰もが知っている有名人からキラリと光る名脇役
まで、彼らの気になる「その後」を大紹介!「新選組隊士・
斎藤一は警視庁で働いていた?」「将軍・徳川慶喜は維新
後どうなった?」「榎本武揚はシベリア横断旅行に出かけ
た?」など、教科書には載っていない意外なエピソードが
目白押し。
つい他人に話したくなる話題満載の歴史雑学本。

では、また。

梅雨明になって始めての猛暑、いかがお過ごしでしょうか。
昨日は東京から友達が来て、備前焼美術館を見学した後、
こちらの名所「閑谷学校(しずたにがっこう)」へ連れて
行こうとしたら車のクーラーのつけ過ぎで、オーバー・
ヒートをしてしまいました。
ちょうど駅前で故障しましたので、駅のお手洗いでペット
・ボトルに水を入れ、エンジンに向かって水を掛けまくり
大変な目にあってしまいました。
クーラーの付け過ぎ、くれぐれもお気をお付け下さい。
以下、備前市の紹介ページです。
http://www3.ocn.ne.jp/~bizenst/index.html

で、本日、本屋に行きましたら、出ていました
「別冊 宝島」
以下、紹介ページです。
http://pub.twn.ne.jp/betaka_new/479663469x.html

来年の大河、近藤勇が斬首されるところで終わるようです。
NHKも予算難で戦闘シーンまでいくとお金が掛かり
過ぎるとのこと。

では、お暑い中、くれぐれもお体ご自愛のことお祈り
しております。

幕末維新おもしろ話、その4、「靴」

日本で最初に靴を履き愛用したのは坂本竜馬、その靴を普及させたのは
大村益次郎、彼は明治三年三月十五日に軍靴の製造を始めたので、
それを記念して現在、三月十五日は「靴の日」。

明治維新によって武士が失業し、各藩では、その対策に頭を痛めていた。
そこで、現在の千葉県北部にあった佐倉藩が、道場だった所を
職業訓練所に改造し、約二百人の士族を集めて製靴技術を習得させる
という妙案を思い付く。

竹刀を持つ手に金槌を持った元侍達の作った靴、
いったい、どのようなシロモノだったのであろうか。