みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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いよいよ春らしい気候になってきました、みなさん、お元気ですか。

さて、友だちから大阪の散策記が届きました。特に堂島・適塾、
私もちょくちょく行きますが、適塾は江戸時代のものが現存している
極めて貴重な建物です。写真もたくさんありますので、読んでくださいね。

司馬遼太郎記念館では、企画展「挿絵でみる司馬作品」を開催してますが、
季節がら、司馬さんの好きだった菜の花が記念館のあちらこちらで
飾ってありました。
司馬さん書斎のまわりも菜の花で賑っています。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/df50/temp1/20050305-oosaka-02.jpg

企画展「挿絵でみる司馬作品」ですが、「峠」も2枚の挿絵がありました。
1枚は、西国遊学で京都での公家女性との色艶のところでした。
もう1枚は、継之助と松蔵?が山道をあるいているところでした。
こちらは、「峠」どの場面かは??です。
館内は写真禁止ですので、残念です。
せっかくですので、「1999年 司馬遼太郎が愛した世界展 目録」にも
載っている挿絵を載せておきます。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/df50/temp1/20050305-oosaka-02-01.jpg
こちらは、横浜の場面と最後の場面でしょうか?のこりはよくわからないですね。

司馬記念館をあとにして、適塾へいきました。
ここで、yamazakiさんが長岡藩大坂蔵屋敷の場所を偶然見つけました。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/df50/temp1/20050305-oosaka-03.jpg
の奥の地図は、緒方洪庵が塾を開いていたころの地図です。この地図に
長岡藩大坂蔵屋敷が載っています。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/df50/temp1/20050305-oosaka-04.jpg
赤○が長岡藩蔵屋敷、青○は福沢諭吉が生まれた中津藩蔵屋敷です。

福沢諭吉は、適塾の塾頭をしています。歴代塾頭の一部です。
大村益次郎の名もでています。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/df50/temp1/20050305-oosaka-05.jpg
適塾内には、福沢諭吉の書もあります。
この書は、適塾の由来を福沢諭吉が書いたものです。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/df50/temp1/20050305-oosaka-06.jpg

適塾は、河井継之助の友人、小山良運も入門していました。
門人名簿には、小山良長という人がいますが、これが小山良運ではないかと
思われます。赤○
http://www004.upp.so-net.ne.jp/df50/temp1/20050305-oosaka-07.jpg

福沢諭吉生誕の地へいきました。福沢諭吉が大坂の地で生まれたことは
大阪人でも知っている人は少ないのではないでしょうか?
福沢諭吉が商人の町「大坂」で生まれことは、彼のその後の思想におお
きな影響を与えたように思います。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/df50/temp1/20050305-oosaka-08.jpg

福沢諭吉生誕の地から徒歩5分ぐらいで長岡藩大坂蔵屋敷跡に行くことが
できます。
今は、検察庁となっています。岩村高俊の子孫が法務大臣になっていますが、
なにか因縁めいたものを感じます。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/df50/temp1/20050305-oosaka-09.jpg

今日はわりと暖かくて風もなく、春近しを感じさせる日でしたね。

さて、「官軍が火を人吉に放つ図」、これは昨年、私が行きました
四国琴平の金毘羅宮特別公開で展示された高橋由一という画家が描いた絵です。
この絵はあったのに、残念ながら見逃してしまって、後で大変後悔しました。

内容は、開国で揺れる日本のなんでもない風景画、画面半分は自然のきれいな
風景が描かれ、半分は火事現場のような赤い火と黒煙と、その中でうごめく
動乱の人々が描かれています。

http://www.woodone-museum.jp/exhibition/2%28past%29/02/1-1%28takahashi%29.html

高橋由一といえば、中学校の美術の教科書に出てきて、ご存知だと思います。
代表作
「鮭 (http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=4126)」(1877年頃)(東京藝術大学、重要文化財)
「花魁 (http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=4124)」(1872年)(東京藝術大学、重要文化財)

なんと生まれは1828年、坂本龍馬より年上だったんです。明治維新の頃は
すでに40歳、知りませんでした、てっきりもっと若いのだろうと思っていました。

なんでもない油絵を描いていたと思った高橋由一が、幕末の動乱も描いて
いた、、、私としては、とても衝撃的なことでした。

では、また、お元気でお過ごし下さい。

龍馬の妻、お龍、龍馬亡き後、西郷さんの紹介で、仲居をしていた神奈川県 
田中家(料亭)に友だちが行きました。詳しく聞いてきてとお願いしたら、
レポートを送ってくれました。
田中家(料亭)のHPは以下です。
http://www.tanakaya1863.co.jp/groop.htm

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田中家は江戸時代からつづく神奈川宿の旅館で
明治6年から8年まで仲居として坂本竜馬の妻「おりようさん」が勤めたそうです。
添付の写真は社員旅行で行ったときにとった写真で
見にくいですが、正面の背の高い女性が「おりょうさん」との説明でした。
なお勤めるきっかけは田中家が長州藩士の常宿で、西郷隆盛の紹介でとのことだ
そうですが、維新の大立者が出てくるので本当でしょうか?
田中家は確かに安藤広重の絵には載っています。

田中家でのおりょう伝説
明治八年頃、母と弟に死別して全く孤独な身となってしまった坂本竜馬の妻で
あったおりょうは神奈川の田中家(原文は田中屋)という高級料亭の仲居として
働いていたが、深酒に溺れるようになっていて、女将も困っていたらしい。
当時彼女は三十七歳位であった。

この料亭に遊びに来る客で西村松兵衛という男がいたが、彼は横須賀造船所
建設用の資材の回漕業をしていて、度々来るうちにおりょうさんと意気投合し、
彼の住んでいる横須賀の地で世帯を持つことになった。入籍は明治八年七月で、
この時おりょうさんは西村ツルと名前を変えている。
出典「おりょうさん」追想より(一部改変)/大津観光協会発行

※当時を知る仲居が調査員に語った内容
「おりょうさん」は非常に頭が良く酒を好み、人情深く、客あしらいもうまく、
当時無数にいた仲居の中でも飛び抜けて目立つ存在だったようだ。勉強家で
英語を喋り海外事情にも詳しく話題も豊富な彼女は別格であっただろう。
おりょうはきっぷの良い粋な人であった。泥酔して根っこを生やしてしまった
お客様を帰すのにも活躍していたであろうのは想像に難くない。
田中家を去った後も彼女を知る常連客より「今日はおりょうはどうした?
」という声が長い間聞かれ、当時在籍していた多くの仲居が
「もういないのにナニヨ!」と嫉妬したという話が残っている。

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上記のお龍さんの入っている集合写真、送信してもらっています。
見たいとお思いの方はお送りします。
私までお知らせ下さい。お待ちしています。

今朝はそれほど寒くもなく、ほどほどの気候ですね。

さて、随分前に読んだ、子母澤寛の「ふところ手帖」を読んでいました。
勝海舟・榎本武揚・山内容堂から座頭市まで、その実像を丹念に追及し
独自の語り口で書かれているので、お隣のおじさんが話しているようで
とても親しみやすい本です。

この中で一番印象に残った箇所、江戸一とも言われた伊庭八郎が、箱根
で名もない小田原藩士に左腕を斬りおとされます。どうして、これ程
高名の剣士を名もない侍が斬れたかと言うと、小田原藩には昔から、
下級の侍たちだけがやっている奇怪な剣法がある。要するに、何でも
いいから勝てばいい式のもので、その侍はこれを会得していたからだ
という。ところが、これは間違いで、子母澤寛の元に、斬った者は
鳥取藩の名もない侍だという手紙が届いた。鳥取には、あの斬り
落とされた伊庭の腕がピクピク動いていたのを見たという人が何人も
いたという。一生懸命、一つの技ばかり練習していると、意外な
功を奏したものらしいとのことだ。と締めくくって、結論は書かれて
いませんでしたが、馬鹿の一つ覚え、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる
ということわざが頭を過ぎりました。
後、座頭市って実在の人物だったんですね。

では、また。

さて、先週の大河「新撰組!」、あれから、山南敬助について気に
なりだして調べてみました。

芹澤暗殺の時は参加しています。それも、よほど気心の
知れた仲間内でないと成功しなかっただろう鴨暗殺です、
恐らく土方とは心の奥底では通じ合っていただろうと思います。

先日の大河でも場面は出てきましたが、岩城升屋乱入浪士斬殺
事件というのがあって土方と山南が行くんですけど、そこで山南
の愛刀が二つにぷっつり折れてしまいますね。多分、そこで山南は
傷を負ったのではないでしょうか。

それから亡くなるまでの一年数ヶ月全く新撰組史には出て来ないのです。

池田屋事変も不参加なんですよね。ということはやはり病気説、、
ガンではなかったか、とも言われています。神経を病んでいたとも、
ああいう人生の終わり方をしても不思議ではない、、
触れて欲しくない新撰組の影の部分でしょうか。

みなさんは、どう思われますか?

山南の墓が壬生の光縁寺にあり、墓石は削り取られて
ボロボロです。ファンが持っていくそうです。
悲しい亡くなり方をしたのでファンもたくさんいますね。

京都の友だちが地元の郵便局でもらった新撰組グッズをたくさん
送ってくれました。京都に行かれたら郵便局も覗いて下さい。
記念絵葉書とか、史跡めぐり冊子とか、布製ケースとか
ありますよ。

では、また。

お元気でしょうか。最近は良い天気が続いていますが、
先日の大雨で野菜の価格が高騰気味だそうです。

さて、日曜日の23日の山田方谷の放送はかなり遅れて、深夜2時
10分から1時間だったそうです。
ビデオ予約していた方は尻切れトンボで録画失敗とのこと、
NHKももっと早い時間帯で放送して欲しかったですね。

さて、新書案内!

浅田版新選組異聞! 芹沢鴨暗殺を描いた話題作

「輪違屋糸里」
ワチガイヤイトサト
浅田 次郎    

■内容紹介(引用しています)■
島原の芸妓・糸里は土方歳三に密かに思いを寄せていた。
二人の仲を裂こうとする芹沢鴨には、近藤派の粛清の白刃が
迫りつつあった……

百三十万部を超えるベストセラー『壬生義士伝』から四年。
芹沢鴨暗殺の真実に迫った、浅田版新選組第二弾の登場です。
六つで花街・島原の輪違屋に売られた糸里は美しい芸妓に成長した。
日に日に対立の溝が深まる近藤派と芹沢派。両派の和解に自分を
利用しようとする土方歳三に翻弄される糸里は、いつしか新選組
の運命に寄り添っていく……。連載終了後、多摩に住んでいた
浅田さんの曾祖父が天然理心流を習っていたことも判明。骨の髄
まで新選組にどっぷりとつかった最高傑作です。

定価(税込) 1500 円

ページ数 296ページ

判型 四六判上製カバー装

初版発行日 20040530

ISBNコ-ド 4-16-322960-4

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GWに京都でお会いした土方歳三はまり役の、あの栗塚旭(くりづか
 あさひ)さんのお話です。

幼い頃から運動神経が皆無で立ち回りには苦労したそうです。
殺陣師があまり動かなくていい殺陣をつけてくれたそうです。
土方役がついてまわり、その後仕事が限定され苦労したようです。
不器用なとこと、雰囲気もどこか大友柳太朗さんと似てます。

しゃべりながら色紙にサインしていて、平成と書くところを
昭和と書いてしまい、色紙を一枚パーにされておられました。
こういうところが、また憎めないお人柄です。

高校時代、ピアノを習いにいって、教師に「あなたには楽器
は無理だから声楽にしなさい」と云われたそうです。

またO脚をなおすためにバレーを習い、O脚は見事に直ったの
ですが、オカマ歩きになってしまい土方やる時に、監督に
随分と注意されたそうです。

根が明るいものですから、土方役がついた時には普段から監督に
「笑うな・しゃべるな」とうるさく注意され、役になりきることに
専念させられたそうです。

はじめて土方役がついた時のギャラがなんとたったの2万円だった
そうです。ちなみにそのころ(昭和40年)の「新選組血風録」の
制作費は1本200万円だったそうです。
大川橋蔵さんはすでに平次で一本200万円取っていたそうです。
監督が「俺たちは橋蔵さんのギャラと同じ制作費で映画撮ってる
んやでえ」とぼやいていたそうです。
 

いろいろとお話をお聞きしますと、栗塚・土方の魅力が更に
増してきます。以下、「燃えよ 剣」放送予定です。

NHK BS 13日放送 18時~「燃えよ剣」

京都文化博物館では、5月27日(木)29日(土)です。

『燃えよ剣』 1966年松竹(90分・モノクロ)

       監督:市村泰一
       出演:栗塚旭、和崎俊哉、石倉英彦、内田良平

では、またです。

週末は寒くなるようですね。

さて、今日の独り言、
ここ倉敷の小さな書店にも新撰組コーナーができて、
同じような本ばかりのネタ切れ状態の中で、新撰組周辺の
今まで取り上げてもらえなかった人たちにもスポット・ライトが
当たり始めて嬉しい限りです。

「清川八郎の明治維新」 高野澄  NHKブックス 1160円 と
「新撰組紀行」     中村彰彦 文春新書   760円を買いました。

京都に舞台が移ってガゼン面白くなってきました。
佐藤浩市の芹沢、伊東四郎の八木家主人、良いですね。

しかし、山南啓助、、なんとかして欲しい。
山南ファンが悲しむほど嫌味な演出です。
光縁寺に行く度、啓助さんの墓石が削り取られていて、、、、
熱心なファンが多いんですね。

今しがた、岡山県のローカル・ニュースを付けましたら、ジャスト・タイミング、
「山田方谷記念館」が本日よりオープンだそうです。岡山県大佐町という所だそ
うです。岡山県民ですが、大佐町ってどこにあるのでしょう。行かなくてはいけ
ませんね。

http://www.town.osa.okayama.jp/koho/2004/200402/200402_041.html

西日本にお住まいの方はGWには京都に行きましょう。
「新選組!」にちなみフリーきっぷ JR西日本が4月発売

 JR西日本は4月1日から、NHKの大河ドラマ「新選組!」の舞台になって
いる新選組屯所跡などの観光スポットを見て回るのに便利な「京都フリーきっぷ」
と「京都・新選組見聞録パス」を発売する。
 「京都フリーきっぷ」は、九州、中国、北陸、南紀、北近畿地域から京都へ
往復する新幹線や特急列車(ともに普通車指定席)と、京都市内を中心とするフ
リー区間内での普通列車が利用できる。有効期間は3日間で、京都市交通局や京
福電気鉄道、叡山電鉄の1日乗車券がつく。発売は11月28日まで。
 また、「京都・新選組見聞録パス」は、滋賀県内や阪神地域から京都への往復
と山陰線京都-二条間のフリー区間で普通列車を利用できる割引切符。新選組屯
所跡の「八木邸入場券」がセットになっている。12月19日まで販売する。
 4月1日から5月16日まで、寺院拝観やレンタサイクルの割り引きがセット
になった「嵯峨野散策きっぷ」も発売する。4月29日と5月1日-5日には、
神戸-嵯峨嵐山間を1日一往復する臨時快速「嵐山わかば号」を運行する。(京
都新聞)
[3月29日21時0分更新]

北海道の方は必見、乗れたら良いですね。

「スーパー北斗」に土方歳三が登場-函館 【写真】  2004/03/21 03:00
 【函館】札幌-函館間を走るJR北海道の特急「スーパー北斗」の一部の
先頭車両外観に二十一日から、NHKの大河ドラマ「新選組!」副長の土方歳三
が登場する。

 「歳三トレイン」は四編成あるスーパー北斗のうちの二編成。先頭車両の前部
には、俳優の山本耕史さん演じる歳三が縦、横各約三メートルの大きさでお目見
え。後部には歳三と、女優の田丸麻紀さん演じる恋人お琴も。

 ドラマの主人公は近藤勇だが、JRは「北海道は、やはり函館で没し
た土方です」。十二月まで運行する。

新刊案内、
「新選組 高台寺党」 市居浩一  新人物往来社  2800円
高台寺党だけを取り上げた本は初めてだそうです。

寒いですね、ここ倉敷でも雪が舞っていました。

昨夜の金曜、5日、夜7時30分から、私の居住しております岡山のみ
山田方谷の番組が放送されました。
http://ftown.boo.jp/takahashi/houkoku/
この番組は全国放送をする前に地元の岡山だけのプレゼントだと
思っています。本当に素晴らしい番組でした。
方谷先生役とナレーションの寺田農がやはり上手いです。

見ながら打ち込みました、放送のまとめです。

今、山田方谷見ています。ゲストのインタビューも入って
なかなか力が入っています。さすがNHKです。

備中松山藩、借金が10万両、その利子が1万両、10万両は今のお金
で200億円。
参勤交代の駕篭かきでさえ、備中松山の駕籠は担ぐなと言われた。

農民出身の方谷、破産寸前の備中松山藩をわずか7年ほどで赤字を解消させた。

佐久間象山と江戸で佐藤門下で会うが、方谷はいつも論破していた。

厳しい節約や規則よりも、農民・庶民を慈しみ育てよ、利益は
後から付いてくる。

大阪商人の負債の整理、利子の支払いで苦慮していた。
方谷は大阪に向かい、事実を真摯に語り、商人達の心を動かし、
50年という返済要求を受け入れさせたのです。

良い物を売れば必ず売れる、備中クワの誕生です。

他にも備中という名前を付けて売り出した。
今のブランド物の先駆けです。商品などは、山間の小さな藩で
ありながら外国船の持ち船を買い、大阪ではなく江戸に送った。
今で言うアンテナ・ショップです。売上は評判を呼び
売れに売れました。藩そのものを会社組織に変えたのです。

苦しい時にあえて積極的に打ち出した方谷。

経済を改革した後、いよいよ藩札の信用に挑みます。
膨大に乱発され、価値が下がり続けていました。
残っていた藩札をきっちりと返し今で言うと12億円を返します。
その返済を終えた藩札をみなの前で焼き捨てるのです。
一度信用を失ったものは捨て去るべき、と。
これが全国に広まり、方谷の名前は知れ渡ります。

藩の軍隊も作り上げ、特産品の売上で富国強兵が進められた。
まさにオールマイティの方谷。

能力があればどんどん取り上げて育てた。
自ら死ぬ覚悟でやらないと何もできない。

継之助は最初に出てきて、30分たった今も出ています。
逸話がたくさん紹介されています。

武士の給料を減らし節約を実践、しかし、これが武士達の恨みを買い、
命を狙われ、賄賂をもらっているのかと疑われ、方谷は自分の家計
をガラス張りにして公開していました。セットではない、高梁の旧家か
で収録されているので「臨場感」がたっぷりです。継之助が麦飯を食べて
「義」の教えを方谷から学んでいる場面があります。

商人や農民にも学問を奨励し、寺子屋もたくさん出来ました。全日空の
社長も会社の改革をするに当たって、方谷の本を読んで勉強していると
出ています。強い意志の元、背水の陣で臨まないと構造改革などできな
い、とのこと。7,8年で改革を成し遂げたのは非常に参考になるとのこと。
日本再生の知恵を今、教えてくれるように思います。

継之助は人生で最も充実した日々を送れたと方谷に告げ、真心と痛みを
分かることができたら、物事は上手く運ぶでしょう、との教えを方谷から。
二人でクワ持ち耕す場面で継之助の出番は終わりました。方谷先生の
愛用の大きなヒョウタン(本物)も出てきました。方谷といえども、
妻に二度逃げられたこともあったそう。
全国の志士からの手紙が今も山田家に保存されています。方谷、
吉田松陰の遺体を掘り起こすのを幕府に掛け合いました。

継之助、死ぬ間際に備中松山に行くことがあったら方谷先生に
伝えてくれ、継之助は生涯先生の教えを守ったと、と付き人に
伝えています。涙がでてきまました。

大久保利通は明治政府にと招きましたが、方谷先生は年が寄っ
ているからと断っておられます。明治の大臣になっていたら、
どんな大臣でも、何をしてもできたでしょう、万能の人ですね。
奇跡と呼ばれた方谷の財政改革、150年を経過して再び注目を
浴びようとしています。生涯、義の姿勢を貫き通した方谷、
改革への確かな道を迷っている現在日本に良い手本、日本に
よくあった手本が示されている。弱肉強食のアメリカ流では
なくて、日本にあった改革は方谷にあるのではないか。

貴重な資料も紹介されています。こんな資料はなかなか目
に出来ません。商人や農民にも学問を奨励し、寺子屋もた
くさん出来ました。

番組が終わりましたが、15分ほどの方谷先生の足跡を紹介
しています。高梁高校の石段、先生がよく歩いていた場所
だそうです。高梁の町をゆっくりと紹介しています。

食べ物の最新の値段をいつも知っていた、庶民の暮らしを
よく知っていた。
月一度、方谷会がお墓参りしている様子、盆踊りにも先生
を褒める歌詞が入っている。ここまで、今、現在も地元の
方に親しまれ、うやまれて誇りに思う、大切にされている
方谷先生、藩主さえ、方谷の教えを守り農作業していた。
地元の方谷会の方が貴重なお話をたくさんしておられます。
高梁ではいろいろな視点から
方谷研究がされています。庄屋のネットワークを作り、
農業の情報を得ていた方谷、情報が命の農業をしっかり
把握していた。方谷林公園、高梁を望む小高い丘に作
られています。方谷先生の漢詩の碑があります。方谷
先生は生涯に1500の漢詩を残されました。

人間としての幅の広さが今なお人々に愛されている方谷
先生。高梁、今も方谷が息づく町です。   

ナレーションをできるだけ忠実に打ち込みました。
内容が少しでも味わえましたでしょうか。

* ダビングテープを400円(テープ、送料、封筒代全て込み)
  の実費でお分けします。郵便小為替・郵便振込み・
  銀行振り込み、いずれでも可。

  私までDMを下さい。