みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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先日、倉敷に残る岡山県内では珍しい戊辰戦争の史跡を訪ねて来ました。戊辰戦争は、京都で勃発し、北上してゆきますから、西日本に戊辰戦争の史跡があるのは、珍しいことになります。

この碑は、倉敷市の玉島という港町にあります。

玉島は、明治期までは素晴らしい港でした。物資の集散地として栄え、備中松山藩や岡山藩等の外港としての機能を備えていました。しかし、かつてあったバスターミナルはスーパーの駐車場に変わってしまうなど、映画館や裁判所、劇団まであったという昔の面影は全く失われています。しかし、中心市街地の商店街周辺は港町で栄えた往時の面影を残しており、倉敷市は町並み保存地区に指定し観光地への脱皮と活性化を試みています。

西爽亭は、その保存区にある備中松山藩に仕え、代々庄屋を務めた家です。平成5年(1993)、倉敷市に寄付されました。
次の間で、慶応4年(1868)松山藩家老の熊田恰(くまたあたか)が自刃し、幕末の戦火から玉島を救ったという史実があります。

 


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