みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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20140520-OYT1I50013-L

なんと、こんな手紙が地元の倉敷市にあったなんてビックリです。

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桂小五郎が大坂にいた長州藩士に宛てた手紙。署名を圭としている

(倉敷市真備 町の市真備支所で)

幕末の志士・桂小五郎(木戸孝允、1833~77年)が大坂(現在の大阪) にいた同じ長州藩士に宛てた自筆とみられる手紙が、岡山県倉敷市の旧家が保管 していた資料の中から見つかった。

新撰組の隊士が尊皇派の志士を襲撃した池田屋事件(1864年)の直後に京都から送ったとみられ、市歴史資料整備室は「桂が危険が迫っている緊迫した状態の中で出したのではないか」としている。

手紙は和紙に墨で書かれ、倉敷市内の旧家・林家が2004年に市へ寄贈した資料の中にあるのを、市職員が昨年確認。桂が、長州藩の外交官にあたる大坂藩邸留守居役、北条瀬兵衛(後の倉敷県知事)に送っていた。

「別紙」(別の手紙)を長州藩士の寺嶋忠三郎に渡すよう依頼する内容で、自身の近況については「明日(長州藩士の)時山(直八)が(京都から大坂に)下る予定なので聞いてほしい」としている。  記載した年月日は十七としか書かれていないが、桂が1864年(元治元年)6月17日の日付で、寺嶋宛てに書いた別の手紙と内容が整合することから、北条に宛てた手紙の「別紙」がこれにあたり、池田屋事件のあった6月5日のすぐ後の17日に書かれたとみられる。  寺嶋に宛てた手紙には、「早速上京するとの様子だが、この頃はご承知の通り伏見辺りも一層監視の目が厳しいので、道を変えて通行すべきである」などと幕末争乱の当時の様子が書かれている。

また、署名は桂ではなく圭としており、同室は「敵の手に渡っても身元がわからないように、わざと本名を使っていないのではないか」と分析する。  手紙は、6月3~5日、同市真備支所で開かれる「倉敷ゆかりの人々の手紙」で展示される。入場無料。同展では、医師で蘭学らんがく者の緒方洪庵が医師の石坂堅壮に宛てた礼状や、戯作者の滝沢馬琴が親戚とみられる人に自分の目が見えなくなっていることなどを知らせる手紙なども併せて紹介する。問い合わせは同室(086・698・8151)。

(冨浪俊一)2014年05月20日 12時40分 Copyright c The Yomiuri Shimbun

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