みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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明治新政府軍と旧江戸幕府軍が大政奉還後に争った戊辰戦争の最中、新政府軍が出した「徳川慶喜追討令」を記した高札が、米原市柏原の柏原宿歴史館で展示されている。高札は京都と江戸を結ぶ中山道の宿場町・柏原宿に掲げられたと伝えられ、谷口徹館長(69)は「幕末の大きな変化を象徴的に表している」と語る。(形田怜央菜)

戊辰戦争は、一八六八(慶応四)年一月三日、江戸幕府軍と薩長軍が衝突した鳥羽・伏見の戦いを契機に始まった。鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍は敗れ、慶喜は六日、海路で江戸に逃れた。その翌日、新政府が追討令を出した。

谷口館長によると、追討令を知らせる高札は、新政府への恭順を示すために各地で掲げられたと考えられるが、現存しているものは多くないという。柏原宿以外で県内では、日野町で一例が残されている。今回は高札と、同様の内容を記し高札の原本となったと考えられる史料パネルを展示している。

史料には末尾に、当時の柏原宿を支配していた大和郡山藩主の官位に当たる「甲斐」と記されている。大和郡山藩主が新政府軍への支持を表明し、領民がそれに従うよう命じたものだと分かる。

一方で、高札には設置主体が書かれていない。このことを谷口館長は「官軍先鋒(せんぽう)隊のような政府軍関係者が、藩主に先駆けて書いた高札ではないか」と推測する。当時は幕府側か政府側を支持するかで苦悩した大名も多く「大きな時代の変わり目に、混乱していた状況が読み取れる」と話す。

展示は四月三十日まで。入館料は大人三百円、小中学生百五十円。

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