みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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倉敷美観地区の一本外の通り、紫陽花の咲くお茶屋さん、その二軒先は内科医院でした。赤く丸で印をしております。江戸時代、その地は、森田節斎という儒学者の塾がありました。
 彼は、頼山陽に師事し,昌平黌(しょうへいこう)に学び、尊攘論を唱え京都で塾を開き,吉田松陰,乾十郎ら尊攘志士を多く輩出し,頼三樹三郎,梅田雲浜,宮部鼎造らと親しく交わっていました。
 それから、節斎は文久1(1861)年倉敷に移り、学校を創立、門下生約270人、倉敷地方では尊皇運動の発祥の地にもなった所です。その時の門人、備中松山藩の原田亀太郎が天誅組に参加しています。
 倉敷紡績の創業者である大原孝四郎の父壮平は、節斎から、「謙受」の精神を教えられました。(謙受とは、驕り高ぶる者は損なわれ、謙虚に努力する者は利益を受ける、ということである)。

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