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本日、ザ・戊辰研マガジン2022年5月号 Vol.55を発刊しました。
今年のゴールデンウィークは天候にも恵まれ、さらにはコロナの規制も解除されて、どこの行楽地も溢れるほどの人でいっぱいでした。
私は初めて仕事の無いゴールデンウイークを過ごしました。茨城県の「ひたち海浜公園」のネモフィラを見に行って来ましたが、4300台収容の駐車場は満車で、車の列と人だかりにはほとほと疲れました。
しかし、ゴールデンウィークが終わって、これからのコロナの状況が気がかりですね。ニュースに目が離せません。
「ザ・戊辰研マガジン2022年5月号VOL.55」、どうぞ、ご覧ください。
https://boshinken.publishers.fm/issue/5308/

山田方谷の人生を見直し勉強、、まとめました。岡山高梁が生んだ偉人、、大河ドラマにして欲しいですね。
戊辰戦争研究会が発行する「ザ・戊辰研マガジン」第54号が、発刊されました!
會津鶴ヶ城内には、約1000本の桜が花をつける会津随一の花見の名所で日本桜の名所100選のひとつです。
ソメイヨシノを中心に、エドヒガン、タカトウコヒガン、シダレサクラなど多種の桜が時期をずらしながら咲きほこります。
夜桜も美しく、ライトにうかび上がる桜がお堀の水面に白く映る様は幻想的です。また會津鶴ヶ城は日本でも稀な赤
瓦の天守閣となっており、白虎隊士もみた幕末当時の姿をお楽しみ頂けます。
今シーズンの會津鶴ヶ城の桜の開花予想は4/12。
満開の予想は4/19。
コロナ禍の中、オミクロン株が変異したオミクロン株BA.2が広がっており、
コロナの終息が見通せませんが、會津鶴ヶ城の見事な桜を見て心和ませて頂ければ幸いです。
お楽しみください。
ザ・戊辰研マガジン 54号
やっと公開ですね。待ちに待った”河井継之助『峠 最後のサムライ』。当初の公開予定から延期を繰り返し、ついに2022年6月17日(金)より全国公開とのこと。楽しみです。
北越の小藩、長岡が生んだ切れ者、、坂本龍馬、西郷隆盛、土方歳三など、綺羅星のようなヒーローの一人が河井継之助。新政府に恭順して倒幕派につくか、それとも旧幕府派につくか。長岡藩の家老、河井継之助は武装中立の姿勢を貫こうとした。ガトリング砲など近代兵器を備えていくが、北越戦争開戦7月25日継之助負傷8月16日継之助、敗走途中の会津塩沢で没。享年42。惜しい人材でした。
明治新政府軍と旧江戸幕府軍が大政奉還後に争った戊辰戦争の最中、新政府軍が出した「徳川慶喜追討令」を記した高札が、米原市柏原の柏原宿歴史館で展示されている。高札は京都と江戸を結ぶ中山道の宿場町・柏原宿に掲げられたと伝えられ、谷口徹館長(69)は「幕末の大きな変化を象徴的に表している」と語る。(形田怜央菜)
戊辰戦争は、一八六八(慶応四)年一月三日、江戸幕府軍と薩長軍が衝突した鳥羽・伏見の戦いを契機に始まった。鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍は敗れ、慶喜は六日、海路で江戸に逃れた。その翌日、新政府が追討令を出した。
谷口館長によると、追討令を知らせる高札は、新政府への恭順を示すために各地で掲げられたと考えられるが、現存しているものは多くないという。柏原宿以外で県内では、日野町で一例が残されている。今回は高札と、同様の内容を記し高札の原本となったと考えられる史料パネルを展示している。
史料には末尾に、当時の柏原宿を支配していた大和郡山藩主の官位に当たる「甲斐」と記されている。大和郡山藩主が新政府軍への支持を表明し、領民がそれに従うよう命じたものだと分かる。
一方で、高札には設置主体が書かれていない。このことを谷口館長は「官軍先鋒(せんぽう)隊のような政府軍関係者が、藩主に先駆けて書いた高札ではないか」と推測する。当時は幕府側か政府側を支持するかで苦悩した大名も多く「大きな時代の変わり目に、混乱していた状況が読み取れる」と話す。
展示は四月三十日まで。入館料は大人三百円、小中学生百五十円。
ザ・戊辰研マガジン2022年3月号 Vol.53を発刊しました
世界情勢が大きく動き、ロシア軍がウクライナを攻撃するニュースに釘付けの毎日です。そしてロシア軍によるウクライナ原発への攻撃には大変驚きです。原発の占拠が目的で、原子炉への攻撃は無いものと思われますが、もし原子炉へのミサイル攻撃が始まったら、チェルノブイリ、福島原発の事故どころか、世界規模の大惨事に陥ることは間違いありません。また、核兵器の使用をちらつかせている狂ったプーチン。これを止める手立てはあるのでしょうか。
ウクライナの首都キエフに通じる道に架かる橋をウクライナ軍は自らの手で破壊、ロシア軍の進軍を阻止しようとしています。戊辰戦争会津の戦いで、会津軍が十六橋を破壊して西軍の会津侵入を阻止しようとする場面を思い浮かべます。
世界中の多くの国がロシアへの制裁措置を講じています。そしてロシア国民は苦しんでいます。
パラリンピックではロシアと同盟国のベラルーシが参加の停止となりました。選手の人達には可哀そうですが、その怒りはロシア政府、ベラルーシ政府に向けてもらいたいところです。
ロシア国民もウクライナ国民も戦争を望んでいません。プーチン政権の独走を何としても止めなければなりません。
さて、ザ・戊辰研マガジン2月号は星先生の追悼版でしたが、3月号は通常版です。
本日発刊致しました。どうぞご覧ください。
https://boshinken.publishers.fm/
幕末の生々しい交渉も…長州藩士・久坂玄瑞らが山田方谷に宛てた書状を特別展示【岡山・高梁市】
財政の立て直しや教育者として人材育成に尽くした備中松山藩の藩士、山田方谷に幕末の長州藩士から送られた書状が高梁市で展示されています。
高梁市の山田方谷記念館で展示されているこちらの2通の書状、幕末の長州藩士、久坂玄瑞と木戸孝允が山田方谷に宛てたものです。
久坂玄瑞の書状は、安政の大獄で処刑された吉田松陰の遺骨を埋葬し直すための協力を依頼する内容です。また木戸孝允からの書状は、長崎の対馬藩が幕府の財政援助を得ようと方谷に2人の藩士を紹介したものです。
動乱の江戸末期、幕府と対立していた長州藩が、方谷を通じて幕府と交渉しようとしていたことがわかる興味深い資料となっています。
(高梁市教育委員会 上村和史主事)
「この書状からは、方谷自身の考え方というより方谷をめぐる人間関係がわかるので、方谷が幕末の政治や社会でどういう役割を果たしたのかということがさらに詳しくわかる。」
この特別展示は、5月9日まで高梁市山田方谷記念館で行われています。
星先生追悼特別号を発刊しました –
戊辰戦争研究会の主宰者であり、ザ・戊辰研マガジンの発起人である歴史作家の星亮一先生が、2021年12月31日に逝去されました。
戦国、幕末、現代まで幅広い分野を研究し、情熱にあふれた著書を出版。数々の賞を受賞した功績には目を見張るものがあります。
特に会津の歴史に関しては、星先生の右に出る人はいないと言うくらい突出した著書の数、そして内容でした。星先生の講演を聞き、著書を読んでファンになった方は数知れません。当戊辰戦争研究会もそう言った方々が集まり、16年間という月日を先生と共に歩んで来ました。
今月号は、そんな星先生の逝去を悼み、星先生との思い出を残す意味もあり、追悼特別号として発刊することと致します。
北は東北から南は九州まで、多くの会員様から哀悼のお言葉を頂きました。深く感謝申し上げます。なお、追悼記事は北から南への順序とさせて頂きました。何卒ご了承ください。
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「第50回記念 箱館五稜郭祭・戊辰戦争終結150周年記念」2019.4.20から10.27
『箱館五稜郭祭50回記念、戊辰戦争終結150周年の節目の年を迎えるにあたり、この機会を幕末・明治以来の先人達の歩みを振り返りながら、未来へ踏み出す新たな一歩と位置づけ、地域を挙げて「第50回記念 箱館五稜郭祭・戊辰戦争終結150周年記念」を開催することといたしました。 様々なイベントにおもてなしの心を添えて、皆様のお越しを心よりお待ちしております。』
戊辰戦争の最後の戦いの地となった特別史跡「五稜郭」で、戊辰戦争終結150周年を記念する企画が催されていました。
実は、この記念すべき五稜郭・戊辰戦争終結150周年記念に星先生の講演会の企画願を出す予定でした。それがこのコロナ禍のため、コロナ収束まで、手ぐすね引いて待っていたのです。2022年こそはと、待ちに待ち続けておりました。北海道は戊辰研の集会では未踏の地です。勿論、戊辰研の会員は数名おられますので、この機会に、是非、お会いしたかったのです。
五稜郭の夢は、夢の、また、、夢で終わりました。残念で仕方ありません。
星先生のHNは、榎本武揚、、星先生のお心も、箱館五稜郭へと向かっておられたのでしょう。心より、ご冥福をお祈りいたします。